二人の性の先生《母と祖母のM男教育》【🔊音声朗読】

官能実話
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【📢音声朗読】性に関して、私には二人の母親がおります。👩🏻母と👵🏻祖母です。祖母には、「筆おろし」までしてもらいましたが、母とは男女の仲になることはありませんでした。祖母は十数年前、他界しました。ですので、今は母が遊び相手になっています。

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M男の性教育

祖母(イメージ)
祖母(イメージ)

あらまっ! もう開いちゃってるじゃない! お尻の穴の準備はOK? ぶっ込んで行くわよ!《孫目線》祖母は仕事が旅館の仲居ということもあって、和服の似合う女性でした。通勤には邪魔なので、行き帰りはラフな格好でしたが…でも和服は着慣れていたのでシャキッとして格好良かったです。

性に関して、私には二人の母親がおります。👩🏻母と👵🏻祖母です。この二人に性の手ほどきを受けました。やり方(M男なのでやられ方ですが)は違いましたが😓。

祖母には、「筆おろし」までしてもらいましたが、母とは男女の仲になることはありませんでした。「手コキ」や「お浣腸」、「大人のおもちゃ」もさせてくれますが本番はダメです。母は根が真面目なもので息子との関係には躊躇したのでしょう。不仲でしたが当時は父親も健在だったので。

今も母は健在で、老いて益々意気盛んな還暦、深い仲になる気なら今からでもなれるかもしれませんが(笑)。実際、父親が亡くなってから、大分ルーズになってきました。以前は中に入れると「入っちゃったね」と言って抜かれていましたが、今ではそのまま中出しも許されるようになりました。

単に歳を取って面倒臭くなっただけかもしれませんが、禁忌はこのまま有名無実化しそうな気がします。

残念なことに祖母は十数年前、他界しました。ですので、今は母が遊び相手になっています。

最初、性に目覚めるきっかけを与えてくれたのは母でした。幼稚園児の頃から、お仕置きで裸にされ、お尻ペンペンされるのが月に何度もありました。その影響で「性」に目覚める前に、どちらかと言えばSMの「M」に目覚めてしまいました。

叩かれ、恥ずかしい思いをさせられるのに興奮する体になりました。その後、小6の時に母のお浣腸の洗礼を受けました。

意図せぬ事故ですが、母からのイチジク浣腸で人前でウンチ💩をお漏らしする事件を起こしてしまい、更に被虐体質が強まりました。母はそんな私を、体を張って助けてくれました。助けてくれたというのは自分にもお浣腸して、それを見せてくれた、ということです。ショック療法みたいな感じでした。

女姉妹の中で育った母は、男の子の性に関して何の知識もありませんでした。それでも母は母なりに頑張ってくれました。おかげで一時の不登校も乗り越え、中学に進学できました。

この頃から、祖母と接する機会が多くなりました。祖母の家は同じ町内ですが、少し距離があるので、自転車を買ってもらってから、頻繁に行けるようになりました。

神経質な母と違い、祖母は大らかで明るい性格です。「性の手ほどき」と前述しましたがアプローチが二人はまるで違います。

母は純粋に性に悩んでいる息子に対する性教育のような感じ。祖母は中学生になって、性とMに目覚めた孫の私の期待に応えたいという感じでしょうか。

そのためでしょう。前に述べたように母とは体の関係にはなりませんでしたし、祖母とは最初は悩み相談から、最後はお互い楽しむ関係にまで発展してしまいました。

どちらが良い悪いというものでもありません。体の関係は無いとはいえ、母とはマザコンでかなり濃密な関係でした。そのマザコンを卒業させてくれたのが祖母でした。母親離れさせてくれました。祖母と親しくなることにより、母と少し距離をとることができるようになりました。そのおかげで、今でも母とは良好な関係を続ています。

祖母には、これをしたい、あれをしたいと話せる間柄です。おねだりでき、それに応えてくれる関係。本能に忠実なタイプです。例えばエッチな雑誌に出ている写真を見せて、これをやってみたいといえば、やってくれます。ビッチなので祖母が興味の無いものはダメですが、、、(笑)

母とは、そういった話は一切できません。祖母とは違い、建前が前面に出てくるタイプ。体や性の悩みは少しは話せますが、楽しんだり快楽には応えてもらえません。そもそもエッチ雑誌とか見せられる間柄ではありませんし、、、悩みは自分の力で解決せよ、と母が言うセリフは大体見当が付きます。

母が手で出してくれるようになったのも、息子が変な雑誌や悪友の影響で惑わされないためです。そんな事になるのなら、自分で満足させてあげようという母なりの配慮です。
お浣腸も、あくまでも便秘解消のため。ただ結果、お尻も敏感になってしまいましたが、それは不可抗力です。

これほど二人は違うタイプ。

最初は母、その母から自立して祖母へ、そして祖母が亡くなった後、また母の元へと。
まるでコウモリのように、あっちに行ったり、こっちに行ったり。二人の先生の元、今ではどこに出しても恥ずかしい立派なM男になりました。

終わり

《追記》

祖母には、もう少し長く生きて欲しかったです。嫁姑で仲が悪かったので、私が間に入って関係を改善させてあげたいと、前から思っていましたが、叶わぬ夢となってしまいました。何度か温泉旅行に連れて行ってあげたのが、せめてもの祖母孝行でした。

母はエッチな雑誌を一緒には見てくれません。でも祖母は寛容でした。

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