母と息子は浣腸仲間 《遊びとしてのお浣腸とSM》

官能実話
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母のイメージ
母のイメージ

浣腸が大好きな母。そんな母の影響をモロに受けてしまった。毒親で子供の私には逆らうことができません。そして、いつしか母とは男女の仲に。お浣腸を通して母との恍惚感を得るMの体になっていました。スパンキング、お尻責め、お浣腸、スカトロ、SMプレイ今では何でも母の言いなりです。

この変な話で気分を害されたらごめんなさい。先に誤っておきます。

私と母の関係をお話します。普通の母と息子ではありません。特別な関係なのです。母は決してエッチには応じてくれませんでした。もともと真面目なので、それだけは嫌なのでしょう。でも、その代わりとして、お尻を使って私を満足させてくれます。近親相姦も、お尻なら許される。どうも母はそう思っているのかもしれません。母は思い込みの激しい女性なので、本音は分かりませんが。

入れなければ浮気ではない。これと似ています。お尻ならエッチしたことにはならない。そう考えているふしがあります。冗談のように思える話ですが。そんな、実際どこか常識とかけ離れた、そんな母親なのです。

他人には言いにくい話なのですが、母と私は浣腸が好きです。それも自分たちで楽しむ為に。子供の頃、私は便秘で母から初めて浣腸されました。そして母の目の前で排泄。我慢できませんでした。言いようのない恥ずかしさが、私を襲いました。思わず私は泣き出してしまいました。それほど、私のショックは大きいものでした。物心ついてから、人前でウンチ💩を漏らしたことがなかったんです。

とても惨めな姿だったと思います。私の姿を見て、何故か母は喜んでいるように見えました。間違いなく母は笑っていました。少なくとも、私にはそう見えました。そんな母に私は怒りを覚えました。私の惨めな姿を見て、喜ぶ意味が分かりませんでした。その時は母が許せませんでした。

でも、それは私の誤解でした。母は私を蔑んでいたんではありませんでした。母の喜びは、単に便秘が解消されたことに対してでした。それは、私がたくさんウンチを出せて良かった、という意味でした。私を見下す意味ではなかったのです。

それは私の完全な誤解でした。私は後に、この事実を知りました。それまでは、ずっと私は母を憎んでいました。今では後悔しています。誤解が晴れると同時に、嫌だった浣腸が好きになりました。

それからは私は少しでも便秘になると、母に浣腸を頼むようになりました。母も快く、それに応じてくれます。便秘の時には母にも浣腸してあげます。便秘でないときも、2人で浣腸をし合うくらいです。出しているところを見られるのは恥ずかしいです。でも、母も見せてくれるので、お互い様ですね。

こうして私と母は浣腸仲間になりました。遊びとしての浣腸を母と私は楽しんでいます。お互いに耐え忍ぶ、限界まで。もちろん、先に出したほうが負けです。そして、いつも母が勝ちます。彼女はお尻の穴の女王です。穴は緩いのですが締まりが悪い訳ではありません。括約筋がしっかり付いているのでしょうか。

使うならイチジク浣腸が一番です。手っ取り早く済ませたいなら、これが一番です。物足りないと思ったら、2個、3個と使っています。それでも足りなければ、ガラス浣腸の出番です。ここまでくれば、かなり本格的なSMです。本当に私たちは変態な母子だと思います。これは依存症なのだから仕方ない、と母は言います。誰も傷ついていないし、私たちのだけの問題だ、とも母は言います。

父の死はとても悲しい出来事でした。両親の仲は決して良くありませんでした。だからと言って、母が悲しまなかった訳ではありません。随分辛かったでしょう。でも、その父が亡くなり、母は自由になれました。心の負担が軽減されたのだと思います。今は田舎で一人で暮らす未亡人。息子の私は、その家を訪れ、実の母と淫らな行為に明け暮れることができるようになりました。最初はセックス時の挿入を受け入れてくれなかった母も、いつしか受け入れてくれるようになりました。

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