母の過干渉 《マザコン? そしていつの間にかMに》【🔊音声朗読】

官能実話
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【📢音声朗読】これは私の子供時代の話だ。その頃は父も健在で夫婦仲は悪かったが、母もここまで淫乱ではなかった。父も暮らしている実家では、そもそも母とエッチな行為は大っぴらには出来なかった。仕事人間だった父の留守中、私が学校から帰り、姉が夕方戻って来るまでの話だ。その後、父が他界し、実家が母一人になると豹変した。もう何も母と息子を止めることはできなくなった。

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母のお仕置き、母へのお仕置き

母は何だかんだ理由を付けて、子供の私の体を管理したがった。息子の育ち具合を確認したかったのだろう。いわゆる「過干渉」。「毒親」というやつだ。

母は私より3歳年上の姉には興味は無かった。優等生タイプだったし、そもそも出来が良かったので心配する必要は無かったと思う。同じ女性だから、ちゃんと育っているのか母もわかったのだろう。

でも私の場合は違う。私は母の初めての男の子だ。女姉妹の中で育った母には「エイリアン」みたいな存在だった。意味不明な生き物。私も母もコミュ障気味だったし、当時も意思疎通はうまく出来ていたとは思えない。

生真面目で几帳面な母は、変なふうに育っていないかが常に心配だったのだと思う。それ故に干渉が増えたのだろう。好き嫌いが無いかとか、食事の面で気を使われるのはわかる。母は、それよりも私の発育具合に関心が向いていた。

優しいといえば聞こえはいいが、私は女々しい性格で優柔不断。姉は勝気な性格で自己主張もできるし何より自分のことは自分でできる。自立しているのだ。「逆になれば良かった」と何度も親戚から言われた。

私は手のかかる子だったと思う。そこで、その心配から、いろんなチェックが入る訳だ。特に母から。

母は特に性に関して、心配していた。自分がお嬢様育ちで、男に対して「うぶ」だったからだと思う。結婚して私と姉、子供が2人出来ても相変わらずだ。おまけにずっと専業主婦で、付き合う範囲も狭い。母なりに試行錯誤して子育てしていたのだとは思うのだが。

手のかからない姉とは違い、私はのろまで物覚えも悪く、母の心配を加速させた。性格も穏やかで、男の子らしさが無い。当時の昭和の価値観では、何となく頼りなく映るのだろう。

そんな訳で、母の私への干渉は、学業よりも特に性に関する部分が多かった。

小学校高学年になると下の毛が生え始めた。母はそれをチェックするのだ。息子の発育具合が気になるのだと思っていた。でも違った。母は体罰が好きなのだ。その手段がお仕置きだった。

口喧嘩が多く、父との夫婦仲は良くなかった。そのフラストレーションの「はけ口」にされたのか。時おり、母はお仕置きを楽しんでいるようにさえ見えた。

色んなお仕置きがあった。たとえば、エッチな本を見つけられ、お仕置き。ふざけて家の物を壊してしまって、お仕置き。近所の子とケンカして、お仕置き。

理由は何でも良かったのかもしれない。母は何かにつけてお仕置きしたがった。理由なんてどうだっていい。お仕置きが目的になっていった。

お仕置きでは、私は裸にされてお尻を叩かれる。そして身体検査のように、恥ずかしい部分を見られ、いじられる。わざと大事な所を刺激して大きくさせたあげく、シゴキはするが絶対に行かせない。

幼い頃は勃起することは無かった。小学校高学年になると、小さな刺激でも硬く大きくなるようになった。母は勃起させて楽しんだ。

さらに、お尻に指を入れられてグリグリされる。

極めつけはイチジク浣腸をされた後に、お尻を叩かれるのだ。これが一番効く。両親の部屋は畳で汚したりできない。それを知りながら母は、私をガマンさせ限界まで耐えさせる。

最後は風呂場から洗面器を持って来て、母の目の前でそこに出させる。排泄まで管理したがる母。まったく変態です。

そして、ついでのように「お母さんも、最近便秘気味なんだよねー」と甘い声で誘う。

これって何なのだろうか? 後に理由がわかった。これは母が「自分にもお浣腸して欲しい」というサインなのだ。ツンデレでプライドが高い母は、素直に「自分にもして欲しい」と言えないのだ。

私が「じゃあ、お浣腸してあげようか?」そう言うと。

「カズちゃん、嬉しい。お母さんにお浣腸してくれるの?」とワザとらしい口調で聞く。なお、カズちゃんとは私のことだ。そして母は白く大きなお尻を私に向ける。

いやらしいお尻だこと。おちょぼ口のようなお尻の穴にイチジク浣腸を入れる。1個か2個。

次第に母がソワソワしだす。「うーん、うーん」と小さな声で唸っている。

「カズちゃん。お母さん、おトイレにいっていいいかな?」

わざとらしく、そんなことを聞くのだ。

これも、また母のサインなのだ。

私はそれを拒絶する。母への仕返しも込めて。

「えー。いつも、お母さん言ってるじゃない。お浣腸してすぐにトイレに行くとお浣腸液しか出てこないからダメだって。5分は我慢しなさいって」

「うん。じゃあ、もうちょっと我慢するね」と母がしおらしく心にも無いことを言う。

数分我慢させて、「もうだめー」と母が限界を迎える。

「しょうがないなあ」と私は、先ほど私が排泄した洗面器を風呂場から持ってくる。

洗いたての洗面器を広げた新聞紙の上に乗せる。

「はい、どうぞ!」と母にその上にまたがる様に促す。

「おトイレじゃダメ?」母がそんなことを言うので、ピシャっと断る。

「僕には、さっきここに出させたでしょ。だからお母さんもここにお願い」

こうして、目の前で母の排泄ショーを見学する。これが母の「お仕置き」だ。以前は母からの一方通行だったが、今は母へもお仕置きする。お互い様、と言う訳だ。

躾のためのお仕置きやお尻叩き。便秘解消のためのお浣腸。最初はそれぞれ目的があった。それらが次第に一緒になってしまった。何のためにしているのか、それさえわからなくなった。

そしてある時、それが気持ち良く、快感と恍惚感を得る手段に変わった。そして私も母も、その虜になった。目的と手段が入れ替わった。

ずっと私が調教される立場だったけど、大人になるに従い、いつの間にか母へも調教できるようになった。これって実母調教体験記なんだろう。母も喜んでいるから、まあいいとします。

いろんなプレイを仕込まれた。時には母も参加する。まったく恥ずかしい変態親子だ。こんな遊びばかりしていたせいで、立派なM男になっちゃいました。別に恨んではいないけどさ。😓

終わり

《追記》

これは私の子供時代の話だ。その頃は父も健在で夫婦仲は悪かったが、母もここまで淫乱ではなかった。父も暮らしている実家では、そもそも母とエッチな行為は大っぴらには出来なかった。仕事人間だった父の留守中、私が学校から帰り、姉が夕方戻って来るまでの話だ。その後、父が他界し、実家が母一人になると豹変した。もう何も母と息子を止めることはできなくなった。母は益々盛んになってエロ・ババアに覚醒。実家はラブホテルと化した。今はこんな有り様です。私が東京暮らしで、離れて暮らしているのが救いです。それでも実家に帰れば、母に絞り取られる嬉し悲しいこの頃です。😅 こんな仕様もない話を楽しんで頂けたなら、それだけで嬉しいです。

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