【📢音声朗読】小さい頃、母は怖い存在。いつも母にお仕置きされました。全裸にされお尻をぶたれるのです。幼稚園から何と、高校生になるまで続きました。当然、拒否できる訳もなく、されるがまま。でもそれが次第に快楽へとなっていきました。
前書き
お仕置き、お尻叩き、お浣腸。何がいいの? ほんと変態なんだから、お前は😁。誰に似たのかねぇー。〔私視点〕「それは、あなたでしょ!」とは言えない。言えば怒るし。性格もボディーもわがままな母です。だいぶ垂れてはいますが、まだまだ、いい体してます。
「息子は変態で母も変態!」
「それはそれで良いのでは?」
誰にも迷惑をかける訳でもないし、違法な事でもない。多少、道徳的には問題あるかもしれませんが(笑)、、、最近はそう開き直ることに致しました。人は人、自分は自分。どうか、この変態母子を生暖かく笑ってあげてくださいませ。🙇🏻♀️
お尻ペンペン
母は真面目で厳格な人です。怖い人でもあります。小さい頃は特に母が怖く、イタズラや危ない事をすると、いつも母にお仕置きされました。それは幼稚園に入る頃から、高校に入るまで、少しづつ形を変えて続きました。
「秘密の儀式」とは母からのお仕置き、「お尻ペンペン」のことです。「お尻ペンペン」というと軽く思われがちですが、実際はかなり厳しいものでした。月1回は必ず。月2、3回が多かった気がします。
幼い頃の記憶は、痛さと母への怖さしかありません。いつも「早く終わればいいのに」と思うだけでした。痛さと恐怖、それ以外の感想は無いので、この頃の話は割愛します。その後、気持ち良さに目覚めた小6の頃の体験を書くことにします。
この「お尻ペンペン」は、まさに「儀式」のようでした。そう思えたのは、毎回「手順」というか「段取り」が同じだからです。
それから「秘密」というのは、私と母の2人しか知らないということ。もう一つ、母自信はこのお仕置に「後ろめたさ」を感じていることです。少なくとも私には、そう映りました。
同時に、私には何となくですが、「母がこの行為を楽しんでいる」ようにも思えて仕方ありませんでした。
昭和のこの時代でも「体罰は良くないもの」という世間一般の風潮はあったので、「少し後ろめたい」という気持ちは理解できます。でも「楽しむ」というのは、当時の私にはまだ理解できませんでした。
お仕置きの準備
お仕置きは前日に告知されます。
母👩🦰:「明日はお仕置きよ!」 こんな感じで母から告げられます。
母👩🦰:「理由はわかってるでしょ!」 と続けて母は言います。
小さな嘘やイタズラは年相応にしているので、何となく心当たりはありますが、具体的に何が理由かハッキリはわかりません。下手に聞いて「やぶ蛇」になるのも避けたいので、とりあえず、
私👦🏻:「はい」 とだけ頷いておいて当日を迎えます。当時の私には母は絶対でした。
翌日、朝食の支度をする母が嬉しそうなのがわかります。機嫌が良くなるのです。これが私が「母がこの儀式を楽しんでいる!」と思うようになった理由です。
2階建て一軒家の一番奥の部屋。そこが両親の寝室で、お仕置きされる場所です。母の後について部屋に入ります。6帖ほどの和室です。タンスと小さい机、隅に布団が積んであるだけの簡素な部屋です。
時間は、平日の午後。私が学校から帰って来た直後です。母は専業主婦で、家には母と私以外誰もいません。父親は仕事で毎日帰りは遅く、姉は中学の部活で夕飯時まで家には戻りません。
近所の祖母も、用事が無ければ訪れて来ないので、午後3時から6時くらいまでは、一番のんびりした時間帯です。母も普段は家事や昼寝、テレビなどで「まったり」と過ごしている時間です。
でも、儀式のあるこの日は特別です。母は早めに買い物を終えて、夕飯の下ごしらえも済ませておきます。
地方の田舎町なので、ご近所付き合いはあります。誰も来る予定は無いとはいえ、不意にご用聞きや近所の人が来る可能性もあります。
念の為だと思いますが、この日は、お勝手口と玄関の鍵は閉められます。少し厳重過ぎますが、母はこの事を誰にも知られたくないのだと思います。本心はわかりませんが、誰にも邪魔されたくない、という思いなのかもしれません。
お仕置き部屋に窓はありますが家の一番奥、日当たりの悪い場所なので、中は少し暗めです。雨戸と内窓、カーテンを閉めます。部屋は真っ暗になるので、蛍光灯を点けます。
当時、家にエアコンは無かったので、暑い時期は扇風機を持ち込みます。それでもお盆の頃は最悪です。午後のこの時間帯は特に暑く、部屋は蒸し風呂のようになります。
そんな時は、母も服を脱いで下着になります。薄暗い密室で親子二人、しかも半裸で、おまけに汗だく。知らない人が見たら、さぞ滑稽に思えるでしょう。母が秘密にしたがっている理由も少し理解していただけるのではないでしょうか。
「これを見られたら」と私すらも不安に思うのですが、気丈な母な、「親子で水浴びしてたって言えばいいじゃない!」とあっけらかんに言ってのけます。この母に私ごとき弱虫が勝てるはず無いので、言われたまま命令に従うだけでした。
とりあえず、これで全ての準備が整いました。
身体検査
母👩🦰:「脱ぎなさい!」と母から言われ、私は裸にさせられます。
小学校高学年にもなると、さすがに実の母でも、目の前で裸になるのは嫌なものです。
母は普段着のままです。暑い時期は下着や、それこそ裸の時もありましたが、モンペや割烹着姿が多かった気がします。私だけ裸なので、母と対等ではなく、それも屈辱的です。
小6のこの頃から、下の毛が生え始めました。それが理由で就学旅行のお風呂でクラスのいじめっ子に見られ、登校拒否になりかけたこともあったので、余計に見られるのが嫌いでした。
モジモジしていると、母は有無を言わさずパンツをズリ下げます。この頃は成長期に入る前だったので、まだ母のほうが大きく、私は力では抵抗はできませんでした。
恥ずかしさで、思わず
私👦🏻:「あっ」 と、小さい声をあげてしまいます。
母👩🦰:「男でしょ!」 というのが母の口癖です。女々しいことを言うと母に叱咤《しった》され、私は観念します。
裸の私を正面に立たせたまま、母は私の体を触ります。触られるというか、撫でられる感じです。息子の体の成長具合を確かめているのだと思います。
母に聞いた訳ではないので、私の想像です。この当時、私は成長期。日々体が変化して行く時期でした。母はその成長具合を確認したかったのだと思います。変な風になってはいないか、と。女姉妹の中で育った母は男の子の育て方はわかっていません。ですので、余計に、私の体が心配だったのだと思います。
母の手は冷たいので、夏場は気持ちいいのですが、寒い時はビクッと反応してしまいます。私は感じやすく小心なので、少しの刺激で驚いて女の子のように声が出てしまうようです。
母👩🦰:「お布団にひざを着きなさい!」
ひとしきり触った後、四つん這いでお尻を突き出す格好にさせられます。
母👩🦰:「お尻上げて!」
お尻が母のほうを向くポーズです。足を閉じようとすると母が、グイっと足を広げます。お尻の割れ目も広がって、お尻の穴が、丸見えの状態になります。
母も畳に膝を着いて、また後ろから私の体を触ります。触られている間ずっと言葉はありません。
最初は手で私のお尻を叩きます。ピシッ、ピシッ、ピシッと3回ほど叩いた後、一拍置いて、また、リズミカルにピシッ、ピシッ、ピシッと叩きます。叩いた後、またお尻や股間、背中を触ったりと、、、
「触る」と「叩く」を何度か繰り返します。
最初は声を出さない様に我慢するのですが、自然に少しづつ声が出てしまいます。
👦🏻「うっ」とか👦🏻「あっ」とか、、、
私の声を聞くと、母が明らかに反応します。
バシッ、バシッ、バシッと叩く力が強くなります。触り方も「触る」のではなく、ガシッと「掴みます」。爪を立てて掴むので痛いです。わざと爪を立てます。私の声が大きくなると同時に母の力も強くなります。お尻にはクッキリ、爪の後が残ります。
私の女々しく男らしくない、こういう所が母の怒りに火を付けるのだと思います。「母が反応する」というのはそういうことです。
恥ずかしいけど見て欲しい
いつ頃からでしょうか、責められて声を出すようになったのは、、、
自分では覚えていませんが、とっさに出てしまった👦🏻「あっ」とか、👦🏻「きゃ」とか、最初は多分そんな言葉にならない声だったと思います。
それが次第に長くなって、猫のような甘えるような声になりました。AV女優のように👦🏻「あ~ん」とか👦🏻「はぁ~」と甘えるような声も出せるようになりました。
当時は子供でAVなど見たこともなかったので、自然に身に付いたのだと思います。
正直に言いますが、ほんとうに「叩かれるのが気持ちいい!」のです。そういう体になってしまいました。
上目遣いで母を見つめながら声を出す! それを求め「せがむ」ように!
不思議なもので、母もそれを受け止め応じてくれるのです。
私の声に応じて、強く叩いたり、やさしく触ったり、大事な部分をつねったり、引っ張ったりして行動で示してくれます。
まだ夢精を経験しておらず、皮を冠ったまま。硬くすることも出来ません。恥ずかしいです。とても、恥ずかしいです。
でも、母の前なら何でもできる、という気がしてきます。母に対する怖さも、もうありません。言葉は少ないです。
母は饒舌なほうではありませんから、、、
でも、言葉無しでも心が通じ合っているのがわかります。
裸に剥かれ、手で叩かれるのは、いわば前菜のようなもの。
ここからが本番です。更に激しく、道具を使った母の責めが始まります。
聖(性?)なるお道具
母が「布団たたき」を持って部屋に戻ります。私も少しだけ身構えます。手で叩くのは終わり、ここからはこの「布団たたき」の出番です。
なぜ、「布団たたき」なのか?
理由は、これで叩くのが一番母が好きだからです。
皮のベルトや木の棒、ムチ状の物など、いろいろ試しましたが、軽くてリーチが長く一番使い易いのが、この「布団たたき」だそうです。おまけに、音も大きい。
棒の部分が長いので、相手(私のこと)が立っていても寝ていても届くのだそうです。短いと、母も私の状態に合わせて、屈んだり中腰になったりしなければならない。
これなら立ったまま叩けて楽。という訳で、その後ずっと、これが母の一番のお気に入りになりました。
使われる私も、この「布団たたき」は好きです。何より、この大きさと威力には敵いません。
手で叩かれていた時は何とか我慢できましたが、これを使って責められると泣かされてしまいます。
「布団たたき」が振り下ろされます。と同時に「バシッー」と物すごく大きな音がします。音の大きさに驚いて、一瞬痛さも忘れるくらいです。
身をよじったり、お尻を引くと、「逃がさないぞ!」という迫力で母の手がガッと腰を掴んで元の位置に戻します。
母の爪が痛いです。お尻に食い込みます。
また「布団たたき」が振り下ろされ大きな音がします。この間ずっと無言ですが、母との間で意思疎通ができているような気がします。
やさしい叩き方ではありません。でも日常生活に支障が出るような強さで叩くこともありません。幼稚園児の頃からお仕置きされているので、そこは母も心得ています。ただし、手加減はしてくれません。
お尻がメインに叩かれますが、同じところを叩き続けると赤く腫れてしまうので、お尻以外に太もも、お腹、背中、手など、顔以外は一通り叩かれます。
お尻以外の部分は脂肪が薄く、お尻よりも痛く感じます。ですので、私はお尻が一番好きです。
母もそれをわかっています。
もう一つ、お尻が好きなのは、その音です。
恥ずかしい音を出させる母
お尻は、他の部位よりも強めに叩けるので、「パシッ」といい音がします。母も力いっぱい叩けるので、お尻への責めが好きなようです。
窓は内窓も外窓も閉めていますが、外に聞こえるのではないかと心配するくらいの大きな音です。
大きな面積で叩くと音は大きくなり、小さな面積で叩くと音は小さくなります。痛さはこの逆です。小さな面積で叩かれるほど痛く、大きな面積だと痛さは緩和されます。
母は、布団たたきの大きな面を振り下ろして、わざと大きな音を立てるように叩きます。
とても恥ずかしいのですが、私はこの音を聴いているだけで、頭の中が真っ白になってしまいます。
夢精もまだだったので、「イク」感覚は知りませんでしたが、それでも恍惚感を感じました。母も当然、目の前のそんな息子を見れば、私がどう感じているかは、一目瞭然だと思います。
全てを母に「さらけ出す」快感とでも言えばよいのでしょうか。こんなに恥ずかしい姿を見せても許される安心感。
世間の母親は自分の体罰で、目の前で身もだえている息子を見て、どう思うのでしょうか?
変態だと「さげすむ」のでしょうか?
でも私の母は違う!
こんな変態な子供でも、大きな包容力で包んでくれる。
嫌われることはない、という安心感。
頭の中は「ぼんやり」としながら、母の言う通りにして、次の母の責めを待ちます。
母は私に色々なポーズをさせます。
母は意地悪です。とても意地悪です。
でも好き。大好き。
いちばん恥ずかしい恰好を私にさせ、それを見て楽しむのです。
そして私を叩いて喜びます。
私は変態なのかもしれません。子供の頃から変態なのでしょう。
だったら母は?
母に言いたかった!
👦🏻「僕が変態なら、子供を裸にして喜んでいるあなたも変態でしょ」
👦🏻「お母さんは、心の中でいやらしい事を考えているんでしょ」
👦🏻「そう思いながら、僕に恥ずかしい事をさせるんでしょ」
👦🏻「だったら、もっとして」
👦🏻「もっと見て、とっも触って、もっと叩いて」
結局、何も言えませんでしたが、、、
母の心の中はわかりませんが、気持ちは通じたと思います。
Mに目覚めさせてくれて、とても幸せです。
ハレンチな責め方
一番恥ずかしいのは、お尻を突き出したり、足を開かされるポーズです。股間とお尻の穴が丸見えになってしまうからです。四つん這いでも、M字開脚のような仰向けでも、やはり足を開くと恥ずかしいです。
母は明らかに、私に恥ずかしい思いをさせようと狙って、こういうハレンチなポーズをさせます。そうに違いありません。そんな私を見て、母は満足するのです。
叩かれた後、優しく触られるのも好きです。厳しい母の優しい手。優しく冷たい手。
母は単調な叩き方はしません。どこをどう責めればいいか、わかっています。お尻から背中、太ももの裏、またお尻、背中、とフェイントをかけてきます。合間に大事な部分をギューッと強く掴んだりもします。
さすがに血が出るほど爪を立てることはしませんが、、、
でも背中は猫のように引っかいたり、わざと爪の後を残したりします。
夏は水泳の授業があるので、常にパンツで隠れているお尻以外に後を残すことはありません。でもそれ以外の季節は顔以外は全て、母の攻撃範囲です。学校の行事には身体検査などもあるので、母も気を使っているのだと思います。
戦い終わってお昼寝タイム
ひとしきりスパンキングが済むと、布団を敷いて二人で横になります。これで儀式は終わりです。当時、家にエアコンは無かったので、夏場は暑く蒸します。そんな時は浴室で水浴びをさせられます。
それ以外の季節はお湯でタオルを絞り、それで体をふいてくれます。
母は叩いた部分をチェックしつつ、脇や首筋、股間やお尻の割れ目など、私を表にしたり、裏にしたり、足を上げたりしながら、体全体を丁寧にタオルでふいてくれます。
お尻は「真っ赤」になっています。爪後が残っている場合もありますが、全て2~3日で消えます。その間、水泳や身体検査で肌をさらすことが無ければ、誰にも知られません。
お仕置きの終わった後の母は優しいです。
私の一番好きな母です。
体をふき終えると、母も私の横で添い寝します。
こうして、正味2時間ほどの2人だけの時が終わります。
これ以前、もっと幼い頃は、ほんとうに痛いだけでした。その頃は時間も短く、ほんの5分とか10分で終わっていました。
叩かれる行為は同じなのに、なぜか不思議です。
いつの間にか、こんなに長くなりました。
一仕事終えた感じで、何となく母も穏やかな寝顔です。
「次はいつ叩いてくれるのだろう?」という思いを残しつつ、母は台所に、私は2階の自分の部屋に戻ります。
母と体罰
このような経験を経て私はMとして目覚めたのだと思いますが、母の体罰も私が子供だった当時は、ごく平均的なものでした。
(強さのレベルで平均的だということです。変態的な所は大目に見てください)
学校でも体罰も一般的でした。教師のビンタや部活の先輩のケツバットもありました。ですので、特段母の体罰が厳しかったという訳ではありません。
母は確かに男の子の育て方に少し不慣れで問題があったのかもしれませんが、私を健康に生んでくれて人並みの教育も授けてくれました。私としては一切のネガティブな思いはありません。
感謝しています。母は悪い人間ではありません。悪く思わないで頂けると嬉しいです。
毎回、まとまりのない文章ですみません。
注)画像はイメージです。当時の記憶に近いものを選びました。
終わり
追記
この頃(小6)はまだ射精を経験していなかったので、「イク」ことができません。包茎で刺激に対して勃起もしない状態でした。ただ恍惚感はこの時、ハッキリ感じられるようになりました。今でもムチ打たれ、辱められると下半身が疼きます。真夏の暗い密室で薄着の母と裸の私。お盆になるといつも、この時の情景を懐かしく思い出します。
コメント
>こんな変態な子供でも、大きな包容力で包んでくれる
共感の嵐です。母親って本当に愛情の塊のような存在ですよね。
僕も母からのお尻叩き(中学1年くらいで終わっています)は未だにされたいって思ってしまいます。
たまに実家に帰ると、風呂上りにわざと全裸でウロウロして見られたりするのが好きです。
しかもオチンチンよりもお尻見られたいなんて思ってしまいます。
そうですね。母親の愛は別格なので、何事も逆らえなかったです。ありがたい反面、時に重荷になることもありましたね。
母親に色々してもらうには一緒にお風呂に入るとかいいかもしれませんよ。私の場合、温泉♨️に連れて行きます。最初の時は不純な考えは無く、父も連れて親孝行しようと思ったのですが、父は母と一緒は嫌だったようで、結局母と二人で西伊豆に行きました。
実家で一緒にお風呂と、いうのは日常過ぎて無理っぽいですが、旅先だと家族風呂があるので誘いやすいです。お酒が入ると大胆になるので、マッサージや一緒に寝るのも楽しいです。父が他界した今では、気兼ねする事も無く年2回くらい近場に旅行に行ってます。