毒親だった私の母 《タマタマを調べる母》

官能実話
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当時は毒親などという言葉は無かった。でも今思えば確かにそうだ。全てが毒親の定義に当てはまるのだから。

母は過干渉だった。何かと「ちょっかい」を出したがる。しかも最後まで責任を持たず、中途半端に口出しするので始末に悪い。

特に息子である私の「性の成長」に関しては、人一倍干渉された。陰毛が生え始めた時や包茎の皮がむけた時、初めての夢精も全て母の知るところとなった。イチジク浣腸されたのも、母の目の前で排泄させられたのもそうだ。

息子の全てを管理しなければ、「ちゃんとした男になれない」とでも思っているようだった。

逆に3つ上の姉には甘かった。成績優秀で抜け目のない姉は母の注意を引かぬように、上手く立ち回っていた。母も女同士、姉の成長には何の心配も無かったのだろう。

その分、私がターゲットになってしまった。家の中で一番カーストが低い私が標的になった。母のストレスのはけ口として。

母のストレスは、専業主婦で家に閉じ込められていることだ。結婚してすぐに家庭に入った母は外の世界を知らない。パートでも何でも良いので仕事に就いてみたいと思っていた。それが叶えられず、家に縛り付けられるのが苦痛だったのだ。

さらには父親や姑との関係も悪かった。家の中で孤立しがちな母は、大きなストレスを抱えて子育てしていた。優秀な姉とは違い、思い通りに育たない私に、不安といら立ちを抱えていたのだろう。それがイジメのような過干渉に繋がった。

ある時、テレビで「睾丸の肥大」つまり「タマタマ」が大きくなる病気に関する番組があった。もちろん真面目な番組だ。

それを見た母は、すぐに息子の心配をし出した。睾丸チェックだ。私は布団の上で裸にされ、足を抱えた恰好で仰向けにされた。母はタマタマを触って異常が無いか調べ始めた。片方だけ大きくないかとか、硬さや大きさも気になるようだ。最後は血行が良くなるからと言って睾丸のマッサージまでし始めた。その時は少しあきれてしまった。

一度気になり出すと歯止めが利かない。それから毎日、「睾丸チェック」が続く。でも飽きっぽいので長くは続かない。一週間も経てば自然に興味を無くして、このチェックも消え去ってしまう。

何とも変な母親だった。一事が万事、こんな感じの変人。目の前の事しか考えられないのだ。

私も子供心に母は少し変わっているように思えた。もちろん、そんなことは本人にも誰にも言えない。でも、なぜか他の友人の母親とは違っているように思えてならなかった。

そんな母だが、歳と共に丸く穏やかになった。そして今は良い関係が築けている。エッチな関係なのだが(笑)。

そう、いつの間にかエッチな関係に発展してしまった。父親も亡くなったので、今では誰にもはばかれることは無いのだが、やはり「近親相姦」には多少の負い目もある。

それでも何十年もお互いの体を知り尽くした母との関係は断てない。後期高齢者の母の体は、私の精子を吸いつくす。

母が亡くなるまで、もしかしたら私が先になるかもしれないが、それまで関係は続けたいと思う。

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