お尻ペンペンでMに目覚めてしまった私『人生初のSM体験』【🔊音声朗読】

官能実話
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【📢音声朗読】皆さまはお尻をたたかれることは好きですか? お仕置きで叱られ、裸にされ、恥ずかしい所を見られながら、大きな布団タタキでお尻を責められる。それも自分の母親に。私は子供の頃のこの体験ですっかりMに目覚めてしまいました。

 ↑ 音声でお聞きになりたい方はこちら《音量注意!》 

🍀母のお仕置き

私(M男)
私(M男)

【前書き】実の母の強烈な「お尻叩き」。何も知らない子供の私は、すっかりMにさせられてしまいました。もちろん母は意図的に私をM男にしようとした訳ではありません。でも当時は言葉さえ知らないSMを身をもって体験させられました。本当にお恥ずかしい話ですが、それ以来、私はMに目覚め、今でも母とは人には言えない関係が続いています。全て実話・実体験です。

幼い頃、いたずらをすると母親にお尻をペンペンされるのが日課でした。母は必ず、パンツを脱がせ、お尻を突き出させて叩きます。立ったまま足首を掴んでお尻を突き出すポーズか、四つん這いでお尻を突き出すポーズです。Mに目覚めたのは、この「お尻叩き」がきっかけだったのだと思います。当時は幼いながら、それは単に体罰にしか思えませんでした。痛いだけなので最初は嫌でした。母の命令は絶対なので、避けようもありませんでしたが、、、

でも次第にその痛さに「気持ち良さ」が加わってきたような気がします。痛いのは間違いないのですが、それだけではない感じです。「イタ・気持ちいい」とでも言えばいいのでしょうか。痛さが勝ってはいますが、「痛さ」と「気持ち良さ」が同居する何とも奇妙な感覚です。🥲

この「お仕置き」は月に何度かありました。そして、それは小学生になっても続きました。テストの成績が悪くて、お仕置きされることはありませんでしたが、ただテスト結果を隠したり、嘘がバレたりすると、この「お尻ペンペン」が待っています。

厳格で真面目な母は、嘘や不正を特に嫌っており、この手の悪さに対しては特に強く罰せられました。父との夫婦仲も良くはなく、口論も多かったので、口喧嘩の翌日は「憂さを晴らす」ように強く叩かれました。当時の母はまだ若く、父との関係や姑との関係で苦労していたようなので、心に溜っていたものも大きかったのでしょう。

「お尻ペンペン」というと少し軽い感じがしますが、実際はそれなりに厳しいものでした。終わった後は、お尻が真っ赤に腫れます。日常生活に支障が出るほどではありませんが、今なら間違いなく体罰に当たるでしょう。母は赤く腫れあがったお尻を、化粧台の三面鏡で私に見せたりもします。性格的にS体質なのでしょう。当時は今より躾と称する体罰に寛容だった為、この程度では問題にはなりませんでした。

小学校も高学年にもなると、下の毛が生え始めました。刺激で大きく硬くなったりもします。さすがに実の母でも裸を見られ、触られるのは次第に苦痛になってきました。とは言え、それで許してくれるような母ではありません。

単に裸を見られるのではありません。とても恥ずかしいポーズで見られるのです。そして触られるのです。それまでは「イタ・気持ちいい」だけでしたが、それに更に「恥ずかしさ」が加わります。

自分の大事な所を触られる気持ち良さ。自然に大きくなってしまいます。その恥ずかしさ。母はワザと私を恥ずかしがらせるのです。

時には母は私のお尻の穴も責めます。クリームを塗った指を入れるのです。入れたり出したり。更に私の恥ずかしさが頂点に達します。でも、この頃はまだ出すことができませんでした。中途半端なままで終わるのが当たり前でした。

裸の私と普段通りの服を着た母。惨めで恥ずかしいポーズの私と、それを上から見つめる母。叩く者と、叩かれる者。強者と弱者。支配する者とされる者。当時は言葉さえ知りませんでしたが、まさにSMの世界です。

何とも言えない3つの甘美な感情が、私をMに変えました。このお仕置の事は、家族は誰も知りません。私と母の秘密。誰にも話したことはありません。単なるお仕置きではない。何か「恥ずかしいことをされている!」という実感があり、他人には話せませんでした。

でも何年も経つうちに、不思議なのですが、母との間に次第に「連帯感」のような絆が芽生えてきました。少し後ろめたさがある「共同正犯」といえば良いのでしょうか? 私も次第に「お仕置き」を期待するようになりました。

お尻ペンペンは私が小学校から帰ってきて、姉が部活を終えて夕方帰宅するまでの間に行われました。場所は家の一番奥の両親の薄暗い寝室です。これは母と私の「2人の秘密」。誰にも言ってはいけない「儀式」のような感じでした。

「お仕置き」が無い日が続くと、私も自然と「そろそろかな?」という気がしてきます。そんな時は、母が何かしら理由を見つけて、「お仕置き」を用意してくれます。

ささいな事でも理由が無いと、「お仕置き」になりませんから。ですので母は、宿題を忘れたことや、近所の子とケンカした事などを口実に「お仕置き」の理由にします。時には私から母に見つかるイタズラをして、母に罰してもらうこともあります。

この頃になると、母も「お仕置き」をしたがっているのが、私にもわかりました。私も「イタ・気持ちいい・恥ずかしい」感覚が好きだったので、進んで「お仕置き」を受けるようになっていました。

最初は怖かった母、それが怖くなくなり、泣いていた私も、時とともに泣かなくなりました。そして母も私も、この儀式を楽しめるようにさえなってしまいました。

言い忘れないように最後にひとこと。こうして私はM男に目覚めてしまいましたが、愛情を持って育ててくれた母には感謝しています。恨んだり憎んだりすることもありません。今思えば、母は男の子への接し方が、不慣れだっただけなのだと思います。

以上が、お尻ペンペンでMに目覚めてしまった、私の思い出です。「お尻ペンペン」は甘く淫靡《いんび》な誘惑! 大人になった今でもトキメキます。文才が無く、まとまりのない文章でごめんなさい。

泣いても許してくれない母。でも大好きな母でした。

🍀終わり

《追記》

🥦他の家族に関して!
「お尻ペンペン」は後日、姉に知られてしまいます。特に反応はありませんでした。姉には出来の悪い弟が、少しキツメに折檻を受けていると見えたのでしょう。まあ姉はドン臭い弟をペットくらいにしか思っていませんので。
また、祖母には後日、私から話すことになりました。祖母は慰めてくれましたが、母を非難するような感じに受け取られてしまったので、「それは違う」と逆に私は母をかばいました。恥ずかしかったのですが、自分のMの性癖を話すと、祖母も理解してくれました。少し祖母との距離が縮まり、性の悩みも話せる関係になりました。

🥦「お尻ペンペン」のその後は?
幼いころからの「お仕置き」(お尻ペンペン)は小学校から中学の一時期まで続きました。さすがに中学生にもなると、母に叱られることも少なくなりました。この頃には「お仕置き」(お尻ペンペン)に変わり、恥ずかしいのですが母とはお互い「お浣腸」し合う関係ができました。高校生になると手で出してもらう関係まで進みましたが、母と息子で一線を越えることはありませんでした。(※一線を越えたのは祖母)

🥦責め道具
母の責めは最初は手で、次に靴ベラや定規など細長い物。ベルトや電気コード。最後は巨大な「布団たたき」。ラスボスはこれが待っています。

🥦変態な母
真面目で厳格で気丈な母は、「男が弱音を吐く」ことを「良し」としません。弱々しい男が嫌いで「男の子でしょ!」とか「男なんだから」と常に発破をかけてきます。ですので、叩かれて私が泣くと、母の怒りが増して、更に叩かれます。気付いたのは、どうやら母は、私が泣くと興奮するようです。そんな変態の母と、叩かれて喜んで泣いている変態の息子。そう考えると「どっちもどっち」ですね。😁

「お布団叩き」の威力は絶大です!

お尻が赤くなるまで叩かれました。
「布団たたき」これが一番、強力でした。
叩かれた瞬間、こんな風に衝撃波が発生するんですね。

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